2023年2月タイ北部旅行

メーサイ 伝説のタワーと日本語を話すソンテウ

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タイ北部旅行シリーズ。
チェンライからメーサイへの日帰りトリップを行った。

チェンライバスターミナルからメーサイへ
メーサイのウォーキングストリート、ミャンマーを眺めながらカオソーイを

メーサイでは、あと一つどうしても訪問したい場所があった。

2000年にタイ北部を回っているし、2012年にメーサイを訪れているが、行きそびれたタワーがあるのだった。伝説のタワーへ行く。

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メーサイ伝説のタワー

メーサイからタチレクへ至る国境ゲートを進むと、歩いて渡れる橋となっている。
国境検問所の横からまわると、橋の下をくぐることができる。

対岸はミャンマーだ。

ミャンマーを左手にまっすぐ進む。

国境ゲート周囲には商店がわんさかとあるが、住宅街に入ると、ほとんどなにもない。
簡素な住宅が並ぶだけ。

その一角に、見つけた。ついにたどりついた。

あれが伝説のタワーか。

地図

グーグルマップの登録名は、ศาลเจ้าพ่อหลักเมืองบ้านเกาะทรายとなっている。
よくわからないけれど、バンコーサイの神柱ってことか。

たしかに、柱が祀られている。

その形状をどう判断するのか。

日本人の間では、「○ン○タワー」と呼ばれている。
伏せ字にして申しわけないが、かの形状を見れば、すぐに理解できるだろう。

この場所は、90年代に発行された『地球の歩き方』や『旅行人ノート』の詳細地図にも掲載されていない。
健全旅行者には無視される場所だ。

このタワーの存在を知ったのは、アジアのダークサイド好きには欠かせないクーロン黒沢の本によってだった。

『怪しいアジアの怪しい人々』

199ページからの「タイ メーサイ・バンコク編」に登場する。
発行は1998年で、実際に購入して読んだのは1999年だ。

かつては国境検問所の西側にあるメーサイプラザ・ゲストハウスに沈没していた日本人が、タワー周辺のアパートに移転していった。
沈没していたのは健全バックパッカーではなく、川を渡って出稼ぎないし売られて来たミャンマー女性を相手にする夜遊び系日本人である。

タワーの周辺にはミャンマー女性が働く店や住んでいるアパートがたくさんあったという。
横田さんという日本人が発見したアパート、通称「横田マンション」にそんな日本人が集まり、日々タワーを眺めながら、ことに勤しんでいたという話だ。

以上のようなことを1999年には知っていた。

で、2000年にタイ北部・ラオス周遊旅行した。カオサンからツーリストバスでチェンマイに入り、山岳トレッキングしたり、ゴールデントライアングルに行ったり、チェンコンから渡し船でラオスに入国し、メコン川をボートで下ったりと、当時のバックパッカーの大定番コースで進んでいた。
当時のタイ北部なんて日本人バックパッカーだらけだった。

が、メーサイには立ち寄らなかった。
2000年当時ならば、タワー周辺の施設は健在だったはず。でもスルーした。
チェンマイで知り合った東京のかわいい女子大生二人組と一緒に旅行しており、まさかメーサイの○ん○タワーに行きたいなどどいえるわけもなく、おのれのタワーを女子大生のどちらに向けるかのほうがよっぽど重要な命題であった。
だからメーサイには立ち寄らずに、ゴールデントライアングルに向かった。その後はラオスへ。
結局、女子大生2人とはルアンパバーンで別行動となり、タワーは不発に終わったわけで、今思い返せば、メーサイのタワーのほうに行っておけばよかったと後悔したのであった。
男なんてこんなものである。

その後、外国の人権団体やメディアにより人身売買が問題となり、タワー周辺は壊滅していった。
タワー周辺に巣食う日本人もいなくなった。

2012年に初めてメーサイを訪問した際には、タワー周辺は壊滅済みで、わざわざタワーを見ることもなかろうと、スルーしてしまった。というか場所もよくわかってなかったし、雨も降っていた。
あとでさらに後悔した。

前置きが長くなったが、その存在を知ってから24年経ち、はじめてメーサイのタワーまでやって来たという次第なのである。

2023年2月。
タワーの周囲は普通の住宅街となっている。
小さな商店やクイティアオ屋があるだけ。
アパートは多いが、置屋っぽい建物はどこにも見当たらない。

かつて、「横田マンション」と呼ばれた日本人沈没者御用達のアパートがどこにあるのか、さっぱりわからない。

もはやここには柱しか残っていない。

周辺の店舗もシャッターだらけである。

少し散策すると、マッサージとカラオケの看板は見つけた。

1+1が店名なのか。中国語表記と按摩とカラオケ記載あり。

古くてサビだらけだ。
店は固くシャッターが下ろされている。
屋根はぼろぼろ。
営業をやめて久しいように見える。

潰れたカラオケ屋の近くには、日本語で「アイスクリーム&コーヒー」と書かれた店があった。

周囲にもおしゃれなカフェがいくつもある。

健全な街である。

もはや、メーサイには何もない。
地下深くに潜っている可能性もあるにはあるが、たぶん厳しい。
遊びたい人は、素直に国境の橋を渡って、タチレクに行くべきだろう。

沈没日本人の黒い情念とどろどろの欲望が渦巻いていたメーサイはもう昔の話だ。
それを確認できただけでもメーサイにやって来た価値があったのかもしれない。

クーロン黒沢の怪しいアジアシリーズはどれもおもしろい。

20年以上前の発行なので、最新情報としては時代遅れだけど、当時のアジア各地のアングラな雰囲気を味わうにはもってこいだ。
中にも今でも健在のアングラスポットもあるはずだ。

タイ最北端の地で日本語

カフェで一服してから、チェンライへ戻ることにした。

メーサイ国境検問所前からメーサイバスターミナルへのソンテウが出ている。
乗り合いソンテウだが、まだ客は誰も乗っていない。
運転席のドライバーに声をかける。

ずいぶんと高齢の男性ドライバーだった。横顔には皺が目立つ。
タイ語で話しかけても、返事がない。
耳が遠いらしい。
声を大きくすると、ようやく気づいてくれた。
バスターミナル行きや料金についてタイ語で確認していると、急に日本語で質問された。

「あなた日本人でしょう?」

びっくりした。
まさか、タイ最北端の地のソンテウドライバーから日本語で話しかけられるとは。

なんでも、20年以上前に東京で働いていたそうだ。
日本語は少々怪しくなっていたが、話は通じる。

以前はメーサイに日本人が多く来ていたが、最近はさっぱり見かけないという。
フランス(ファランのことだと思う)も少ないと。

ひさしぶりに日本語を話せて嬉しかったのかもしれない。おじいさんはずっと笑顔だった。皺がさらに深く刻まれていた。
耳遠いけど。

結局、他の乗客は現れずに、貸切状態でバスターミナルまで送ってくれた。
バスターミナル近くの交差点でチェンライ行きロットゥーに声をかけて、すぐに案内してくれた。
すごく親切なおじいさんだった。
最後は日本語で「ありがとう」とお礼を言う。

かつて、タイ最北端の地にて、沈没していた日本人たち。
いまや、タイ最北端の地にて、日本帰りでソンテウドライバーをするタイ人おじいさん。

短いながらも、昔に思いを馳せつつ現在を刻みつける有意義なメーサイ日帰り旅行になったと思う。
アジア辺境の地にも日本はまだかすかに残っている。
10年後、20年後にはどうなっているのだろうか。

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