広告

当サイトは広告を利用しています。リンク先を通じて当サイトに収益がもたらされることがあります。

2024年6月~カオサン・ホアヒン・パタヤ旅行

カオサン通り今昔物語、伝説の日本人宿のCH2とVSゲストハウス

投稿日:2024年6月24日 更新日:

ひさしぶりにカオサン通りにやって来た。
スクンビット通りからBTSとボートを乗り継ぎ、たどり着く。

前回:スクンビットからカオサン通りへ、BTSとツーリストボート乗り継ぎで行く

はじめてカオサン通りを訪れたのが1997年のこと。
あれから27年。
今回のカオサン訪問の目的が、現在のカオサン通りの様子をこの目で確認することと、昔泊まっていたゲストハウスが今どうなっているのか確かめることだった。
あの伝説のゲストハウスはどうなっているのか。

広告



カオサン通りの昔と今

かつてはバックパッカーの聖地と呼ばれたカオサン通りである。

わたしがカオサン通りを根城にしていたのは2000年代前半まで。何度もカオサンに滞在していたものだが、最後にカオサンに泊まったのは2008年のこと。それも臨時で1泊しただけで、以降は、バンコクならスクンビットエリア、そしてパタヤをメインにするようになった。
もはやカオサン通りには足を向けなくなった。
夜遊びには不向きな立地だし、一般的な観光客にとってもこれといって利点があるわけではない。せいぜいワット・ポーと王宮が近いことくらいだろうか。
わざわざカオサン通りに滞在する理由がない。

かつてのバックパッカーの聖地は、今ではすっかり若者のパーティタウンと化したという話は聞き及んでいる。

パンデミック中にカオサン通りは綺麗に整備されている。
たしかに通りは小綺麗になった。

でも通りの両脇の古い建物は健在だし、土産物屋が並ぶさまはさほど変わっているようには見えない。

こんなに屋台がせり出していたかはちょっと覚えていないが、物売りが多いのは今も昔のままだ。

緑の建物のD&Dは健在だ。

青い看板のKrungthai銀行は昔からあったような気がする。

でもやっぱり小綺麗になったような気もするなあ。

昼間なので営業はしていないが、バーやクラブっぽい店は確実に増えている。

ハッパ関連の店や屋台が多いのは、別にパタヤもカオサンも同じこと。これは法律が変わっただけのこと。
まあ、カオサンでは昔から違法手段で簡単に手に入ったけれど。

タイマッサージ屋も昔からあったが、昔も今は割高なまま。
1時間300バーツはパタヤどころかスクンビット界隈よりも高いレベルだ。

真っ昼間のカオサン通りを歩く人はそう多くない。
でも大きなバックバックを担いだ欧米人はまだまだ目立つ。昔は欧米人のことをファランと呼ぶとは知らなかった。パタヤにはまってから、タイ語を覚えた始めた。バックパッカー時代は英語のみだった。

2000年頃までのカオサン通りは日本人だらけで、石を投げれば日本人にあたるほど。今では考えられないが、とにかく日本人だらけだった。あちこちから日本語の会話が聞こえてきたものだ。

今は数組の日本人を見かけただけだ。
それでもカオサン通りを歩くと、客引きから日本語で声をかけられることもある。日本語の案内表示もたまに見かける。

かといって韓国人や中国人がカオサンに大挙して集まっているかというと、そうでもなさそう。2000年代半ばから韓国人バックパッカーは急増したように思うが、カオサン通りよりもラオスのバンビエンあたりに集中していたように思う。
中国人バックパッカーはもともと見かけない。団体客もカオサン通りには来ないようだ。

カオサン通りで昔から変わっていないもの。
それは食べ物屋台のロティとパッタイだ。
今でも多い。相変わらずパッタイ屋台が名物らしい。

現在の価格はノーマルのパッタイが40バーツ。昔は20バーツだったような気がする。いや10バーツだったかも。
そういえば、路地を入ったところに日本語で「10バーツラーメン」と書かれたクイティアオ屋があったのだが、もう見当たらない。というか、場所をよく覚えていない。

さて、現在のパッタイである。懐かしいので食べみることに。
チキン入りのパッタイが50バーツ、海老入りパッタイが70バーツ。
ちょっと贅沢に海老入りを。

パタヤに長期滞在していると普段はパッタイなんて食べることはないけれど、ひさしぶりに食べるとおいしいものだね。
カオサン通りの雰囲気も加わっていっそうおいしく感じる。

I LOVE KHAOSANである。
そういえば昔はカオサン通り内にマクドナルドはなかったような気がする。通りを出たところにバーガーキングがあったはずだ。
が、そのバーガーキングはなくなっていた。

かわりにPRIME BURGERがあった。場所はちょっと違うけれど。
ちなみにバーガーキング自体は別の場所で営業していた。

CH2 ゲストハウス

1997年、はじめてバックパッカーとしてタイを訪れた際、最初に泊まった宿がカオサンのCH2ゲストハウスだった。

カオサン通りを出て、路地を入ったところにある定番の日本人宿として有名で、『地球の歩き方』にも掲載されていた。
CH1はカオサン通り内にあったが、日本人は好まず。
日本人はCH2に集まっていた。

それ以前にも海外旅行経験はあったものの、純然たるバックパッカー旅行ははじめてだったし、ゲストハウスに泊まるのもはじめてだった。
ドンムアン空港に降り立ち、エアポートバスでカオサン通り近くの民主記念塔で下車して、そこらへんにいる欧米人旅行者にカオサン通りの場所を聞き、なんとかたどり着いたのがCH2。
そういった意味でもCH2は実に思い入れの深いゲストハウスだ。

さて、2024年現在、CH2はどうなっているのか。
前述の今はなきバーガーキング脇の路地を入っていった先がCH2のあった場所だ。

路地は今も健在。

郵便局も変わらず健在。

そしてその向こうには、NEW C.H. GUEST HOUSEという小さな看板があった。

ああ、CH2はなくなったのね。
今はニューCHになったのか。

ゲストハウスとして営業しているのかは不明。
というか、昔のCH2と同じ建物なのかもよくわからない。
入って手前がロビーになっていて、一番奥に宿のカウンターがあった気がするのだが。
ロビーあたりでたむろしていると、日本人旅行者がやって来て、ちょっと声を掛けて、一緒に食事に行ったり、情報交換するのが常だった。
簡易的なナンパスポットにもなっていた。
旅慣れていない若い日本人女性旅行者をつかまえては優しく声をかけて食事に連れ出すとかよくやっていたものだ。
90年後半のカオサンはとにかく日本人旅行者だらけで、CH2なんてほぼ日本人ばかり。
今とは隔世の感がある。
でも日本人だけでなく欧米人バックパッカーも宿泊しており、ここで出会ったノルウェー人から裏のことをいろいろと教えてもらったりもした。

NAT2ゲストハウス

CH2の近くにあったのが、同じく日本人旅行者のたまり場となっていたNAT2ゲストハウスだ。

このNAT2は、なんと健在だった。

1階は小綺麗なレストランになっているではないか。

実はNAT2の健在はすでにわかっていた。
というのも、アゴダでカオサン通りのホテルを検索していると、NAT2が出てきたからだ。
あのNAT2がアゴダで事前予約できる時代である。いやはやびっくりだ。

ちなみにアゴダでのNAT2の宿泊料金は共同シャワーのツインルームで320バーツほど。
たしか25年前は200バーツだったような気がする。
現在のウォークイン価格は不明だが、思ったよりは値上げはしていないようだ。
シングルルームならば240バーツだ。
昔のカオサンではシングルルームなら100バーツで泊まることができた。ドミトリーなら80バーツくらい。

アゴダ⇒ナット2ゲストハウス

今回ひさしぶりにナット2に泊まろうかと考えたが、6月の猛暑のバンコクでエアコン無しの共同シャワーの部屋はあまりにも辛いと考えて断念。もはや昔のような気合の入ったバックパッカー旅はできない体と心になってしまったと痛切に感じた。体力は大事だよ。過酷な旅は若いうちにしておくべし。

VS ゲストハウス

そして、最後は伝説中の伝説のゲストハウスが登場する。
VSゲストハウスといえば、知る人ぞ知る日本人ジャンキー御用達の宿だった。
ラオスで知り合ったジャンキー日本人に教えてもらい、はじめて泊まったゲストハウスだ。

カオサン通りから狭い路地を入っていったところにある。
事前情報がないとなかなかたどり着けない立地だし、中に入るにも躊躇する雰囲気だ。

木の陰に看板が隠れている。

おお、まだ残っているではないか。
ちょっと感動。

ゲストハウスとして営業しているかは不明だが、玄関は大っぴらにオープンしていた。

狭いシングル個室で寝ていると、天井から大きな黒黒とした虫が頭の上に落ちてきたことがある。
なんだかすごいところだったなあ。

2階には広めの集会所みたいなスペースがあって、木製のベンチソファーが並べられていた。
そこには昼過ぎから日本人たちがのそのそと集まってくる。
柱が木製で、梁の裏にパイプなんかを隠してある。
がちがちのジャンキーたちによる宴がゆるやかに始まるのであった。
気合いが違う連中だ。
最初はびっくりした。
カオサン通りといえど、ここまで激しい無法地帯は珍しかった。
あの日本人たちは今頃どうしていることやら。

そして、2024年現在のカオサン通りでは、合法化された売り場があちこちにある。

まあ、隠れてやると大っぴらにやるかの違いで中身は変わっていないともいえるが。
でもVSゲストハウスに集まる連中は、もっとハードなブツを扱っていた。

地図

Googleマップの口コミを読んでいると、ゲストハウスの人が30年前のことを覚えいてくれていたという日本人の投稿があった。
90年代にはまっていた日本人が再訪したのだろう。
まさに今のわたしだが、さすがにVSゲストハウスに今さら泊まろうとは思わない。
NAT2でも無理なんだから、VSなんてもっと無理。

でも、若い頃にカオサンのCH2やらNAT2やらVSやらに泊まっていた経験は自分の中で生きている。
今さらあの世界に戻ろうとは思わないけれど、経験しておいた本当に良かったと思っている。
まあVSはちょっと極端な場所だが、あれも貴重な経験だったことに変わりない。
世の中にはいろんな世界やものの見方があるのだと実感できた。

カオサンの昔と今は大きく変わったようで、実はそこまで大きく変わっていないのではないか。
今でもカオサンは楽しめる。
今さらカオサンかよという意見もよくわかるし、確かにその通りではあるけれど、一度は体験しておくべきなのがカオサン通りだ。

広告

-2024年6月~カオサン・ホアヒン・パタヤ旅行

Copyright© パタヤ千夜一夜 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.