パタヤ沈没日記1
ラオスからパタヤ帰還後も、20歳の元ゴーゴー嬢との逢瀬は続けた。
本来ならノンカイとウドンタニー以外のイサーン各地もまわる予定だったけれど、早くパタヤへ戻ってきてほしいという彼女の要望を受けて、早めに帰還したのだった。
20歳の元ゴーゴー嬢。
いや、いつの間にか誕生日を迎えていて、現在は21歳。
出会いは普通にウォーキングストリートのゴーゴーバー。
何度か通ってショート1000バーツでペイバー。
関連記事:数年ぶりにウォーキングストリートのゴーゴーバーでペイバー敢行。ショート1000B。
その後は、バーファインなしで部屋に来てもらうようになった。
最初の頃はショートだけ。
次第に打ち解けていってロング解禁となった。
ここまで長いプロセスを経て仲良くなった嬢は初めてかもしれない。
さくっとペイバー、さくっとロング、さくっと半同棲みたいな形が多かったもんで。
彼女はすでにゴーゴーの仕事は辞めている。
その後サロンで働いていたようだが、それもすでに辞めた。
たまに一日雇用のアルバイトコヨーテダンサーをすることもあれば、昼の仕事のアルバイトをすることもあるそうだが、基本無職。
最近ではチアビア(ビアガーデンでビールを売る仕事)を単発ですることもある。
これだけで生活が成り立っているのか不明だが、わたしの支払うカネをアテにしていることも確かだ。
ラオス・イサーン旅行から早めに呼び戻された最大の理由も「お金がない。助けて」というものだったし。
若さ、ルックス、スタイル、サービスとも、わたしの中ではパタヤ1軍評価につき、こちらとしては文句のつけようがない。
その彼女が5日の一度くらいの割合で部屋に泊まりに来る。
むろん、無料ではない。当たり前。
むしろ無料のほうが何かと怖い。
ブンブンすればお小遣い進呈。それ以外の出費はない。
お小遣いはロングで2000から2500程度。その時々のお互いの経済状態で多少変動するが、だいたいこれくらい。
夜と朝の2回戦がデフォルト。どちらもサービスは満点に近い。
この2回戦をこなしてしまうと、ほぼ満足しきってしまい、積極的に新規開拓する気力がなくなってしまうのだった。
また、5日に1度程度ということは、月に6回となる。お小遣いの総額が14,000バーツほど。
1ヶ月5万バーツ程度の予算でやっているんで、家計に占める割合はかなり大きい。
どうしても節約する必要がある。おいそれと他の案件でペイバーできない。
が、ここはパタヤ。
男の楽園、バタフライ天国。
花はいくらでも咲いている。
たまには、他の蜜を吸ってみたいという悪い虫がうずき出すのだ。
そもそも、元ゴーゴー嬢とはフェーンの関係じゃないし、きちんとカネも払っており、やましいことは何もない。
先方も「ギック」は何人かいると素直に告白している。肉体関係はないと言っているが、これは信用できない。
こちらも「レディはいない。君だけだ」と告げているが、当然先方は信じていないだろう。
パタヤにおける男女間の関係や行動は、すべてお互い様だと割り切ることが肝要。
何を最優先事項にして、何を後回しにするかは、それぞれが決めればいいこと。
20歳やそこらの独身で子供がいない若くて美人の女性を、まわりのタイ男たちが放っておくがないし、彼女も遊びたい年頃だ。
ギックなど何人もいて当然のこと。
外国人のおっさんよりも友人や家族を優先させるのもまた当然。
そこに固執していては、こちらの神経がすり減ってしまう。
徐々に仲を深めつつも距離を取りながら、他でも軽い火遊びをする。
ある意味、理想的なパタヤ沈没生活のパートナーかもしれない。
パタヤ沈没生活の最後の夜も彼女と過ごした。
そして、特に感傷的になることもなく普通にバイバイ。
日本に帰ってからも、毎日連絡が来るような間柄でもない。
数日に一度、メッセージが届くくらいのライトなもの。
それも、「iss」とか「k」とか、腰砕けになりそうな間違いスペル。
ちゃんと、「Miss」と「Ok」と書いてほしいものだ。
やはり、これくらいのほうが健全かもしれない。
かりに別れることになっても、後腐れもなにもない。
どちらかが連絡を取らなくなった時点で自然消滅だろう。
でもね、このレベルの嬢と懇ろになるのは、今のパタヤではけっこう難しいんだよなあ。
20代半ばくらいの子持ちバービア嬢なら、さくっと半同棲生活には持っていけるものだが、20歳のゴーゴー1軍レベルはなかなかねえ。
離したくないよなあ。
と、結局は固執してしまう、もてないおっさんの悩みなのであった。
次回のパタヤ沈没生活でも、たぶん固執してしまうだろうなあ。