パタヤ千夜一夜

タイ・パタヤでの沈没日記とアジア夜遊び旅行記。パタヤグルメ情報、ホテル情報多数。

パタヤ近況

パタヤ最後の夜に~タイ人とラオス人とファランと

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パタヤの夜から光が消えて、今日でちょうど一ヶ月になる。
娯楽施設の閉鎖が始まったのが3月18日だ。

前日までは光の洪水で溺れそうだったウォーキングストリートは暗闇に包まれた。
ウォーキングストリートにもLKメトロもバービア群もゴーストタウンと化していった。

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パタヤ最後の夜に

パタヤの規制が始まる前日、すなわち3月17日夜のこと。
明日からパタヤがどうなるのか、タイ人たちがどう行動する予定なのか、その調査も兼ねて、ウォーキングストリートをまわった。

ウォーキングストリート202003

関連記事:どうなるパタヤ?昨晩のウォーキングストリートの様子をレポート

この時点では、翌日からの2週間の閉鎖がほぼ決定的だった。

ウォーキングストリートで働くタイ人たちのほとんどは閉鎖を受け入れていた。
これからどうするのかと聞くと、田舎に帰るという人もいれば、様子を見るという人もいた。

ひとしきり聞き込みを終えてウォーキングストリートから立ち去ろうとするといきなり名前を呼ばれた。
数年来の知り合いだが、最近はとんと見かけなかった。今はウォーキングストリートで働いているそうだ。
偶然の再会だが、パタヤではよくあること。
ちょっと話を聞く。
2週間の閉鎖となるから田舎へ帰るという。
なんでもマイカーを購入したから自力で実家まで向かうそうだ。ぶっ飛ばしても10時間はかかると笑っていた。
「あなたも一緒に実家に行きましょう。車運転できるでしょ。ねえ一緒に帰りましょう」
冗談とも本気とも取れる口調で彼女が提案してきた。
ひさしぶりに会っただけなのに、いきなりこれか。
運転手役をさせるわけね。
ちょっとおもしろそうではあるが、そのまま彼女の実家に転がり込んでも財布役になるだけなのは目に見えている。
それに10時間の運転はいやだ。
てきとうに雑談してバイバイ。

バービアでタイ人とラオス人と

最後に知り合いのバービアへ立ち寄る。

ママさんやキャッシャーやバービア嬢たちと話す。

イサーンに実家へは帰らないというバービア関係者もいた。
田舎には年老いた家族がいる。
もし感染させてしまうと大変なことになる。
だからパタヤで待機しておく。

賢明な判断だと思う。
実際、その後、パタヤで働いていた人がイサーンへ帰ってから感染が発覚したというニュースも流れた。
バンコクでも同様。
予想されていたことだ。
とはいえ、仕事がまったくない状態でパタヤやバンコクにいても食うに困るだけ。することもない。
それなら田舎に帰ってしまおうとなるのは当然のこと。
2,3日様子を見てから田舎へ帰るというバービア嬢がやはり多かった。

別のバービア嬢とも話をする。
最近このバービアで働き出したようで、実際に会話を交わすのはこれが初めて。
実家へ帰るのかという質問をすると、帰らないという。
田舎はどこなのと聞くと、ちょっとためらいがちにラオス出身だと彼女は答えた。
パタヤにもラオスからの出稼ぎは多い。
田舎に帰りたくとも金がないし、今帰ると次いつまたタイに戻ってこられるかわからないと。
なるほど。
国境閉鎖になることまで予想していたかはわからないが、実際にその後隣国との陸路国境も閉ざされた。
ラオスの実家に帰っていたら、パタヤに戻ってくることは難しくなっただろう。
外国からの出稼ぎは大変だ。

2週間パタヤにいて店が再開するのを待つとラオス出身の彼女は言う。
「お願いだから、あなたの部屋に泊めてほしい。2週間無料でいいから」と提案された。
初めて口をきいた間柄でいきなりこれかよ。
たしかにこちらの部屋に泊まれば、寝るところと食事は保証されるようなものだ。彼女がパタヤで滞在している安アパートやラオスの実家よりは快適なはずだ。
一宿一飯ならず二週宿二週飯の恩義か。2週間無料ペイバーは悪くない。
が、むろん、タダで済むわけがない。あれもこれもと間違いなく出費が増えるだろう。
むしろ2週間で済めば安いもの。その後も延々と閉鎖が続けばどうなることか。
はははと愛想笑いを浮かべて、彼女の提案は丁重にお断りしておいた。

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ファランと

タイ人やラオス人たちと会話しながら、バービアで飲み続けた。
こうやってバービアで飲めるのも当分の間はお預けとなる。
明日から2週間はパタヤの夜ともお別れか。
寂しくなるな。
なんとなく物思いに耽ってしまう。

すると隣に座っていたファラン客がいきなり話しかけてきた。
「きみは日本人かい?」
推定年齢50過ぎのおじさんファランである。
バービアでは隣同士になったファランがちょこちょこと話しかけてくる。連中は話し好きだ。
「そうだよ」
普通に答える。
おじさんファランはドイツ人。
長期休暇でパタヤに遊びに来たそうだ。
でもいきなり明日からバーが閉鎖になると聞いて、困っていると。
することがなくなる。夜は暇になる。
レストランも閉店するかもしれない。
今はホテル暮らしだけど、キッチン付きのアパートに引っ越すつもりだと言っていた。
キッチンがあれば自炊できるし部屋飲みもできると。
でも料理した経験ないんだよねえとゲルマンおやじは笑っていた。

その後、知り合いのタイ人とビリヤードで遊び。
ビリヤードもしばらくはできなくなるな。
そう思うとまた寂しくなってしまい、プレイに集中できなかった。
あえなく全敗。
どうにも調子が出ない。

また一人になり、酒をあおる。
明日からパタヤが暗くなると思うと、いろいろな思いがこみ上げてきて、無性に寂しくなる。
一番苦しんでいるはずのバービア嬢たちは普段通りに明るくふるまっている。
それを見ていると、またなんだか寂しくなってしまうのだ。

すると、離れた場所に座っていた見知らぬファランがいきなりわたしのところまで歩み寄ってきた。
わたしの肩をぽんぽんと叩く。
「おい、大丈夫か? 元気出せよ」と。
よほどわたしの表情が陰鬱なものだったのだろう。
まったく見知らぬファランが気にかけてくれたのだ。
ちょっとびっくりしたが、なんだか嬉しくもなった。

ファラン、いいやつが多い。
もちろん、不良ファランもパタヤには多い。クズファランのたまり場とも言えるのがパタヤである。
見るからにひどいやつも確かにいる。いや、たくさんいる。
好き勝手に暴れたあげくタイ人に反撃され、タイキックとパンチでノックアウトされたファランを見かけるなどパタヤでは日常茶飯事だ。
最初の頃はびっくりしたが、今では見慣れた光景なので、血を流して倒れているファランのすぐ横で平気でビールを飲めるようになった。
でもバービアで一緒に飲むファランの大半はいいやつだ。特にこちらが日本人とわかっていて話しかけてくるファランは実にフレンドリー。

そういえば、ウイルス問題が持ち上がってからほぼずっとパタヤにいたけれど、アジア人だからといってファランから何か差別的な言動を受けたことは一度もない。
もちろんタイ人からもなかった。
内心でどう思っているかは知るよしもないが、少なくとも直接的にファランやタイ人から何かを言われたことはなかった。

パタヤのバービアはインターナショナルな場。
わたし自身も含めて基本はダメ人間のたまり場もであるが、それが楽しいのだ。
タイ人と少数のラオス人(たまにカンボジア人も)とファランと日本人(たまに中韓シンガポールも)とが渾然一体となって飲み明かす。
これがパタヤのバービアというもの。

夜明けはいつか

気づけば午前4時をまわっていた。
このままでは朝まで飲み明かしてしまいそうだ。
名残惜しいが、そろそろ帰ろうか。
2週間後にまた会おうと言いあってバービアをあとにする。
それがパタヤ最後の夜だった。

2週間がたっても、バーが再開されることはなかった。
それどころか非常事態宣言が発令され、夜間外出禁止令も出され、パタヤは無期限の娯楽施設閉鎖となり、アルコール販売も禁止された。

パタヤ最後の夜から今日でちょうど一ヶ月がたった。

自分の車で田舎へ帰ると言っていたウォーキングストリート嬢は、無事に事故らずにたどりつけただろうか。田舎暮らしで車のローンは返済できるのだろうか。
ラオスへ帰らないと言っていたバービア嬢はどうしているのだろうか。さすがに里帰りを決意したはずだが、国境を無事に通過できたのだろうか。
自炊をすると言っていたドイツ人は、料理の腕が上がったのだろうか。それとも感染渦巻く本国へ戻ったのだろうか。飛行機は飛んだのだろうか
国籍もしらないが、突然わたしを励ましてくれたファランは、どこでどうしているのだろうか。
バービアのみんなは元気にしているのだろうか。
田舎へ帰った人たちはまたパタヤに戻ってくるのだろうか。

パタヤにいるのに1ヶ月もネオンサインを浴びることなく、バーで酒も浴びることもなく過ごすのは、なかなかにきついものがある。
さすがに精神が病んできたのかもしれない。こんな感傷的な文章を長々と書いてしまうほどに。

でも明けない夜はない。
いや、パタヤはもともと眠らない街だ。
夜にこそ最も輝くのがパタヤというもの。
焦りは禁物。
今しばらくの我慢だ。

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