1999年のカンボジア旅行のあとも、タイ、ラオス、インド、シンガポールなどへ旅行していた。
が、風俗や夜遊びはまったく無し。
これまた、いたって健全なバックパッカーだった。ま、インドやラオスあたりでは紫の煙に吹かれるヒッピーくずれだったけど。
21世紀に入ってからは、しばらく海外に行かなかった。
ふたたび、外へ目を向けたのは 2007年のことだ。
30代になり、日本の風俗でちょこちょこ遊ぶようになっていた。
で、国内で一緒に遊んでいた友人が、海外に行ってみたいと言い出したのだ。
友人は家族でハワイに行ったことがあるだけの、ほぼ海外旅行初心者。
バックパッカーのまねごともしたいし、夜の遊びもしてみたいという。
じゃあ、タイに決まりでしょう
と、7年ぶりの海外旅行を決断。
わたしも久々の海外にワクワクした。
それまでタイにはバックパッカーとして何度となく訪れていたが、夜遊び経験はゼロ。
バンコクで宿泊するのは、カオサン通りばかり。
シーロムやスクンビットエリアには足を踏み入れたことすらなかった。
今回のタイ旅行はバックパッカーと夜遊びの両方。
持参したのは、「地球の歩き方」と「Gダイアリー」。
まさに王道スタイルである。
意気揚々と久方ぶりのバンコクへ降り立つ。
いつの間にか、ドンムアンからスワンナプームへと国際空港が移転していた。
が、空港を出た瞬間の、体中にまとわりつくような熱気は少しも変わらない。
これだよ、これ。
独特の匂いが鼻孔をくすぐる。
これこそ東南アジアだ。タイだ。バンコクだ。
テンションが上がる。
【カオサン通り】
エアポートバスでカオサン通りへ。
昔は70バーツだったのが、いまや150バーツ。
しばらく来ないうちにタイの物価も上昇したようだ。
舞い戻ってきたバックパッカーの聖地カオサン。
昔よく利用していた安ゲストハウスへ投宿。ダブルの部屋が200バーツ。こちらも、ちょっと値上がりしていた。
カオサンのレストランでカオパットを食べてから、いざ夜遊びへ。
Gダイアリーやネットで少しだけ予習していたものの、バンコクでの夜遊びと言えば、パッポンとしか思いつかなかった。
地球の歩き方にも載ってるほどのメジャースポットだからだ。
というわけで、まずはパッポンへ向かう。
カオサンからは、タクシーとMTRを乗り継ぐ必要がある。
カオサンは不便な場所にあるのだ。でも、わたしがバックパッカーをやっていた頃のバンコクには、地下鉄もBTSもなくて、もっと不便だったけど。
【パッポン】
ようやくシーロムへ。
歩いて、パッポン到着。
道の真ん中に露天がひしめき、両サイドにはゴーゴーバーやバーがびっしりと連なっている。
おお、これが噂に聞こえたパッポンか。
素直に興奮した。
ゴーゴーバーへ入りたかったが、初心者の二人にはその勇気がなく、ただぶらぶらするばかり。
夜も更けてきた。
長旅の疲れもある。
ええい、とりあえず入りやすいMPに行くぞ。
と、名前は忘れたが、パッポンにあるお風呂屋さんへ。プラザかJCのどちらかだったはず。
金魚鉢にはドレス姿のあでやかな女性たちが並ぶ。
圧倒的な光景(あとから考えれば大したことはない)。
日本語と英語をあやつるコンシア(当時はこんな言葉も知らなかったけど)に、べらべらとセールストークを受ける。
雰囲気に呑まれているものだから、3000バーツというプチぼったくりプライスに値切りもせずに応じてしまった。
選んだのは、ちょっとエキゾチックな雰囲気のお姉さん。26歳くらいか。
プレイルームはとても広くて清潔だった。
とにかく雰囲気に呑まれまくりのおのぼりさん状態である。言われるがままのカモネギ状態。
あっさりとゴム付きスモークで1発抜かれてしまった。
お姉さんからは、2回戦やるにはプラス500バーツね、とこれまたカモられる。
帰り際にもチップ200バーツを要求されて、計3700バーツ。
今振り返ると、なぜパッポンのMPなんかに行くんだと、過去の自分を小一時間ほど滔滔と説教したいところだが、初心者なんてそんなものである。何事も勉強だ。
とりあえずやることはやった。
ひとまず、バンコク夜遊び初体験は成就できた。
友人も満足したようで、ほんのりと上気した顔でロビーに降りてきた。
MTRとタクシーを乗り継ぎ、カオサンに戻る。
シンハービールで乾杯。
こうして、はじめてのタイ夜遊び旅行の初日は終了。
Gダイアリーは休刊となりました。これが最終号。電子書籍版のみ。
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