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1999年カンボジア

はじめての海外風俗体験は、世紀末カンボジア・プノンペンだった。スワイパー編

投稿日:2014年8月16日 更新日:

アンコールワットとシェムリアップ

前回⇒はじめての海外風俗体験は、世紀末カンボジア・プノンペンだった。 70thストリート (トゥールコック)編

時は1999年。
70thストリートの置屋での風俗体験を終えたわたしは、シェムリアップへ向かった。
お約束のアンコールワット見学だ。
これは一見の価値あり。
たしかに凄い遺跡だ。
が、夜遊び旅行記なので、細かい描写は一切カット。
当時撮影した写真を一枚だけアップしてアンコールワットは終了。

アンコールワット

シェムリアップでは、チェンラかタケオか忘れたが、日本人御用達のゲストハウスに宿泊した。
ドミトリーが一泊1ドルと激安プライス。
宿泊客は日本人だらけ。
おじさん率もそこそこ高い。
どうやらこの町にも置屋がたくさんあるようだ。
けれども、遺跡でお腹いっぱいになった健全バックパッカーのわたしは、看板娘が評判のシェイク屋に通うだけですっかり満足してしまったのだった。

プノンペン

プノンペンに戻り、日中は観光。
キリングフィールド、トゥールスレンなど。
気がどよ~んと沈むこと請け合いだが、行ってみる価値は充分にある。
が、夜遊び旅行記なので、詳しい内容はやっぱりカット。

↓トゥールスレンに関する詳細な本。必読。

↓名作映画。これまた必見。

さて、いよいよ本題に突入。

またまた、キャピトールのカフェで日本人に誘われる。
プノンペン郊外に、それはそれは凄い村があると言う。
よくわからないまま、総勢4人で出かけることになった。
他のメンバーは熟練者のようで、勝手知ったる顔で案内してくれた。

セントラルマーケットからバスに揺られること15分くらいだろうか。
何もない田舎道に忽然とインターナショナルな看板が現れた。
カンボジア語、英語、中国語、日本語、韓国語など各国の言語で提唱する合言葉はただ一つ、
「コンドームを使いましょう」

なにやら「スワイパー」という村らしい。
初めて聞いたときは、「スナイパー」としか聞こえなかった。
狙撃手の町?
えらく物騒な名前だなあ、と思っていたら、ある意味それ以上に物騒な町だった。

 

スワイパー村

70thストリートのようなバラック小屋ではなく、それなりにきちんとした造りの二階建てが多い。
道路こそ舗装されていないが、極貧の村という感じはしない。
どうやらそこそこ潤っているようだ。

時季は2月上旬。旧正月だ。
派手な獅子舞が踊り、村はお祭りムード。

日本人のおじいさんが、お茶屋さんのテーブルに座り、子供たちと遊んでいた。

ちょっとほのぼのとする光景だ。

他にも日本人の姿がいっぱい。
木陰で車座になって涼みながら、ジョイントをプカプカする人が多い。
ちなみに、警官の姿を何人も見かけたが、まったく問題ないようだ。
みんなフレンドリー。

ここは、ある種の性癖を持った人にはたまらない聖地なのだ。
ほとんどの建物が置屋だそうな。
それもとびきり若い品揃え。
聖地といってもそれは買う側の立場の話。
遠くベトナムから借金のかたに売られてきた年端も行かない少女たちが働かされているのだ。
まさに驚愕の村である。

が、それはそれ。
せっかくなので、てきとうな置屋に入ってみる。
言い値は5ドル
すぐに3ドルに下がった。

ここも安い。
安すぎる。
それに働いている女性も若い。
いや若すぎる。

まさにカルチャーショックだ。

べったりと寄り添ってくる子があまりにもおぼこいので、さすがに躊躇われた。そんな趣味はない。
洗濯したタオルを折りたたんでいる女性がちょうどよい年齢とルックスだったので、あわてて指名変更。
えっ、わたし?」と驚いた顔をしていたが、すぐに腕を取って部屋までご同行。
部屋は、それほど汚くはなく、扇風機もちゃんとまわっている。
シャワーはなし。お約束の水桶。
それでも70thストリートの置屋よりかは、かなりマシな環境に思えた。

なんとか頑張ってフィニッシュしようとしたが、断念。
おそらく、カンボジアの強烈な日差しと紫色の煙にあたり過ぎたのだろう。
ここはダメだ。

一緒に来た三人のうち、二人はまだ残るということなので、同い年くらいの若い日本人と帰ることになった。
帰り道は、ローカルな乗り合いバス。いや、バスじゃない。バイクの後ろに荷台をくっつけただけのオンボロ。ほとんど耕運機だ。
そういえば、ラオスのバンビエンでも同じような乗り物があったなあ。

友好橋付近が終点だったので、そこからプノンペン市内を歩いて、キャピトールに戻る。
道中、同行してくれた日本人が、いろいろと解説してくれた。

「あのビルの一室には、真性炉○部屋があって」とか、
「あそこも置屋通りで」とか、
かなり詳しい彼。
「世界を旅してひと回り大きくなって帰って来る!」
と言い残して日本を旅立ったそうだが、
大きくなったのはポコ○ンだけ
と爽やかに笑うナイスガイだった。

ちなみに彼曰く、
「炉○部屋を訪問する時は、ケーキを持参すると大変喜ばれる」
とさりげないテクニックと心遣いを披露していた。

いやまあ、世界って広いね。
あんまり関わりたくないけれど。

幻の国の終焉

キャピトールから、一人でロシアン・マーケットへ。
お土産のTシャツを一枚2ドルで購入。
するとおばさんが、何やら耳打ちしてくるではないか。
陳列棚の奥から、袋詰めにされた草が出てきた。
たっぷり入っている。茎やタネもそのままの産地直送仕様。
3ドルでどうだ、とおばさん。
すぐに2ドルに下がった。
これ、日本なら末端価格でいくらになるのだろう?
おそろしい値がつくはずだ。
それがTシャツ一枚と同じ値段である。
まさに暗黒都市プノンペン。
いやいや、みんながハッピーになれる。
キャピトールの部屋で、みんなプカプカ。
宿中に独特のにおいが漂っていた。

 

世紀末プノンペン。
夜間の強盗遭遇率100パーセント以上。
昼間は警官、夜は強盗へ変身。
数十ドル出せば人殺しも依頼できる。
空き地を掘れば死体が出てきて、あちこちで地雷が爆発する。
そんな噂話が、真実に聞こえる街。
リアル北斗の拳ワールドがそこにはあった(かなりオーバーな表現だけど)。

まあ、それでも現地人も旅行者もみんな楽しくやっていた。

 

その後数年して、スワイパーは壊滅。
70thストリートも壊滅したそうだ。
風の噂でそう聞こえた。

 

これ以来、プノンペンを訪れていない。
すでに15年以上が経過した。
プノンペンの街は変わったのだろうか?
行こうと思えばいつでも行けるのだが、どうにもその気になれない。
あの頃の印象が強烈すぎたのだ。

淡い青春の思い出が、パーパルヘイズとともに蘇えってくる。
まるで熱帯気候が産んだ遠い蜃気楼のように記憶のかなたで浮かんでいる。
幻の国は、幻のまま、記憶の中にとどめておこう。

~~~~~~~

以上が、わたしが最初に経験した海外風俗。1999年のことだった。
はじめての海外風俗がカンボジアのトゥールコックとスワイパーか。
まあ、これも人生さ。

しかしながら、この体験で風俗にはまることも、海外での夜遊びに夢中になることもなかった。

この次の海外風俗体験は、2007年のタイ。実に8年も先の話となる。
が、この 2007年がわたしにとって、人生を大きく変える転機となった。
そう、初めてパタヤを訪れたのだ。

(2007年はじめてのタイ夜遊び編につづく)

 

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