Amazonプライム会員になると、たくさんの映画やドラマが見放題となる。
オリジナル番組もある。
ただし、海外からアクセスすると視聴制限あり。ほとんどのコンテンツが見られない。
が、日本にいる間にダウンロードしておくと、海外にいても視聴可能。
日本を出発する前にはいつも容量ギリギリまでダウンロードして、パタヤ滞在中に見るようにしている。
今回はそんな中から大好きな映画の紹介。
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ストリート・オブ・ファイヤー Streets of Fire
1984年公開の映画である。
初めてこの映画を見たのは、たぶん、中学3年生か高校1年生の頃だ。深夜のテレビ放送だった。
ストーリーは覚えていない。
キャストなどもすっかり忘れている。
でも映画全体としては強烈に印象に残っている。
見ている最中からぞくぞくして、見終わったあとには快哉を叫びたくなるような気分だったのを覚えている。
が、それから一度も見返すことはなかった。
で、本当にひさしぶりにAmazonプライムビデオで視聴。
パタヤのアパートにいながらスマホで日本語字幕付き映画が見られる。自分も年をとったが、時代も変わった。
ロックンロールの寓話
冒頭にテロップで流れるのが、「ロックンロールの寓話」という一文。
これは、おとぎ話だ。
舞台は、架空の街、リッチモンド。
時代設定もいつかよくわからない。80年代の映画だが、断じて80年代ではなく、50年代から60年代にかけての典型的なアメリカの街といった雰囲気。
それは、ジャック・フィニイの描く50年代の古き良きアメリカのような、ノスタルジックかつありえない世界。
まさに寓話である。
さて、ストーリーなどまったく記憶に残っていなかったが、実際、ストーリーなどあってないようなものだった。
リッチモンドでライブ中の歌姫が、バイカー軍団に誘拐される。
そこに、一匹狼の男がリッチモンドに帰ってくる。
男の名前は、トム・コーディ。
歌姫の元恋人だが、彼女が歌手になるために別れた。
トム・コーディは彼女を助けるため敵の巣窟に殴り込んで、あっさりと救出。腕っぷしが強いし、頭もきれるのだ、トムは。
今度はバイカー軍団がリッチモンドに乗り込んできて、最後はバイカー軍団のトップとトム・コーディが決闘する。
話はたったこれだけ。
ストーリー説明なんていらない。
寓話に複雑なストーリーは不要なのだ。
ラストシーン。
ステージで歌い続ける彼女を横目に、街を出ていくトム・コーディ。
これがたまらない。
まるで、ブルース・スプリングスティーンの「明日なき暴走(Born to Run)」を聞いたあとに街へ出て走り出したくなるのと同じ感覚だ。
まさにロックンルール。
音楽がかっこいい。
ライブシーンの熱量が半端ない。
オープニングとエンディングでテンション上がりっぱなし。
そして、とにかくトム・コーディがかっこいい。
喧嘩が強くて男前。流れ者のように自由に生きてゆく。どんな美女から好かれていても、さっと身を引いて、別の街へ行く。
トム・コーディのようなかっこいい男やかっこいい生き方に男なら誰もが憧れる。
リッチモンドとパタヤ
そう、ラストシーンでわたしの頭に浮かんだのはパタヤのことだった。
リッチモンドは架空の街だ。
ありえない。
パタヤは現実の街だ。
でも、こんな街はありえない。
あってはならない街だ。
でも存在する。
映画は架空の物語だ。そして、「ストリート・オブ・ファイヤー」は映画の中でも屈指のおとぎ話。
ありえない。
パタヤで日夜繰り広げられる物語は現実だ。
でも、非日常的な現実だ。
本来ならあってはならないような男と女とストーリーが幾万となく繰り広げられている。
ありえりない。
でもこれがパタヤの現実。
この非現実なおとぎ話のような現実の街で生きていると、いつしか自分の中から現実感が失せていき、それこそおとぎ話の世界のような浮遊感に包まれてしまう。
今自分が生きていると感じているのは現実世界なのか、それとも夢の世界なのか。
こんな街に長居してはだめだ。
どれだけ好きな女がいても、一人の女に惚れ込むべきではない。
それがパタヤで生き抜く方法。
ふらりと舞い戻ってくることがあっても、また流れ者のように、パタヤから出ていく。
おとぎ話の住人は幻の中でしか幸せになれない。
パタヤは幻を幻として楽しむ街だ。
ああ、そうだ。
パタヤのトム・コーディになりたい。
不覚なのか必然なのかラストシーンで涙を流しながら、痛切にそう思った。
「ストリート・オブ・ファイヤー」なんて映画を見ていても、結局はパタヤのことばかり考えてしまうのだった。
やっぱり、パタヤという寓話の世界からは逃れられそうにない。
いや、それにしても、いい映画だった。
10年後くらいにもう一度見返したい。
Amazonプライムビデオ⇒ストリート・オブ・ファイヤー
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