メコン川を渡ってラオスへ
チェンセーンから一気にラオスまで移動することにした。
まずは、ソンテウでチェンセーンからチェンコンへ。
けっこう遠い。1時間くらいかかった。
昔チェンコンを訪れた際は、川沿いのゲストハウスで一泊した。
今回は、チェンコンをスルーして、そのままラオスのフエサイ(フアイサイ)へ渡る。
川の手前にイミグレーションがあって、タイ出国。
すぐに渡し船の乗り場がある。
タイ側の船着場の様子
満員になれば出発だ。
川を渡って国境越え。
日本では決して味わえない体験。
風情があって、いいよね。
ま、目的は夜遊びなんだけど。
向こう岸がラオス
5分もかからず、船は接岸。
でラオス上陸。
うーん、10数年ぶりのラオスだ。
前回も同じルートでラオスに渡ったはずだが、当時の記憶がほとんどない。
東京の女子大生二人と知り合って、一緒に行動していたのは覚えている。
二人とも可愛かったなあ。
今頃おばさんになってるだろうなあ、わたしがおっさんになったのと同じで。
フエサイには何もない。
ゲストハウスと旅行代理店と小さなレストランがちらほらある程度。
大通りが数百メートル続いて、その先にはまったく何もない。
こりゃあ、夜遊びどころじゃない。
でも、噂では、置屋があるとか何とか。
スローボートでルアンパバーンへ
フエサイで一泊。
翌朝、スローボートに乗りこむ。
メコン川を進み、古都ルアンパバーンを目指すのだ。
このスローボート、ルアンパバーンまでは1泊2日の行程。
まさにスローな旅。
これまた風情のある趣き。
意外と汚いメコン川をとろとろとボートは進む。
実にのどかだ。
途中のローカルな船着場で、白人と黒人の二人組バックパッカーが乗り込んできた。
女性同士である。
おっと、わたしの目の前でいちゃいちゃし始めたぞ。
レズカップルだったのね。
たぶんフランス人。
まあ、いろんな人がいる。
パクベンで一泊すると怪しい客引きが寄ってくる
ボートはパクベンという町に停泊。
この日は、ここで一泊だ。
パクベンは、これまた寂しい町。
でも、旅行者が増えたのか、新しいゲストハウスがどんどん増えている。
一泊300バーツで、新築の宿に泊まれた。
町は狭い。フエサイよりもさらに狭い。
メイン通りがせいぜい2,300メートルあるだけ。
その先は真っ暗だ。
が、道を歩けば、どこからともなく怪しげな男が寄って来る。
いわゆる非合法ハーブ系の誘いが多かった。
昔も今もラオスはそっち方面がお盛んのようだ。
現在のわたしは、夜遊び専門。
危ないものには手を出さない。
「マイアオ」とタイ語で断る。
すると、怪しげな男は、
「プーイン(女)?」
とタイ語で聞いてきた。
女遊びも斡旋してくれるようだ。
ちょっと気になるじゃないか。
いや、でもあまりにも町が暗い。
郊外に連れて行かれて置き去りにでもされた日には、生きて帰って来れそうにない。
地の利がなさすぎる。
ここは自重したほうが賢明だと、わたしの経験が告げていた。
ま、たぶん、大丈夫なんだろうけど、ちょっと怖気づいていたのだった。
ルアンパバーン到着
パクベンで一泊してから、再度スローボートに乗りこむ。
同じようなメンツだ。
乗客の8割はファランのバックパッカー。
日本人はわたしの他に一人だけだった。
あとは、ローカルラオス人。
ヘタすると、英語とタイ語(とイサーン語が少々)が話せる乗客はわたし一人だったかも。
たまにラオスの人に話しかけてみると、びっくりしていた。
まあ、会話を返されてもラオス語なんで、ほとんど聞き取れないんだけどね。
8時間ほどかかり、ようやくルアンパバーン到着。
いやあ、実にのんびりした船旅だった。
ふう、チェンセーンからルアンパバーンに到着するまで、実に3日もかかった。
ブログにするとわずか1記事だけど、そりゃあもう長い旅だ。
でも、好きだな、スローボート。
アジアはこうでなくちゃ。
快適迅速な空の旅だけが、移動手段じゃない。
こんなローカルな船旅も楽しいもんだ。
あ、しまった、パタヤを出発してから、まだ一発もやっていない。
バックパッカー旅行を満喫してる場合じゃない。
夜遊びしないとダメだ。
何のためにこんな田舎まで来ているんだ。
ルアンパバーンでは遊ぶぞ。
うがあ。
夜は、たまたまゲストハウスで一緒になった若い日本人女性に声をかけてみた。
はっきり言って、下心満載である。
が、あえなく玉砕。
やはり一週間近い禁欲生活から湧き出るリビドーを看取されたのか。
それとも単なるおっさんパッカーだから見向きもされないだけなのか。
いいもんね。
ルアンパバーンには置屋があるはずだから、もっと若くてかわいい子に遊んでもらうんだ。
日本人なんていらねえや。
くそう。
もんもんとしたまま、ルアンパバーン初日は一人寝。
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