パタヤ千夜一夜

タイ・パタヤでの沈没日記とアジア夜遊び旅行記。パタヤグルメ情報、ホテル情報多数。

03.パタヤアパート沈没編 エッセイ

今でも忘れられないコヨーテ嬢

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コヨーテ嬢1

アパートに長期滞在している頃に、とても仲良くなった女性は何人もいた。
その中でも、強く印象に残っているのが、ソイLKメトロの某ゴーゴーバーでコヨーテダンサーとして働いていた19歳。
彼女がイサーンから出てきてパタヤで働き出してすぐの頃に出会った。

何度かバーに通ってからペイバーした。
そのあとは、もうペイバーしなかった。
ペイバーするといっても、拒否された。

彼女の仕事が夜中の2時に終わる。
それから迎えに来いと言われるのだ。
LKメトロのゴーゴーのコヨーテ嬢のバーファインは総じて高い。
このバーでは1000バーツくらい。
正直、とても助かる。
でも、夜中の2時から迎えに来いと言われるのも、正直、つらい。

しかも、それから突然ディスコへ連れて行かれることもあった。
朝の5時くらいまで踊ってから、レストランで食事もした。
おじさんにはつらい状況だ。

でも、何度かちゃんと迎えに行ったら、そのうち直接部屋に来てくれるようになった。
3日に1回はアパートに泊まりに来ていた。
部屋に来ては、私のパソコンでインターネットだけやって、帰っていくこともあった。
もちろん、夜の営みも行った。
コヨーテ嬢2

 

ちょっと変わった子だった。
年齢は自称19歳だけど、本当はもう少し若いかも。
胸は小さめながら、スタイルはばっちりだ。
さすがコヨーテ。

音楽とダンスが大好きで、ゴーゴーバーでも一人だけ本気で踊っていた。
ファランに人気があったようだけど、ファランが苦手。

夜中に急に泣き出すことがあった。
故郷の友人に電話して、
ファラン、ティントーン。ファラン、クレイジー
と泣きそぼるのだ。
ゴーゴーバーで変なことをされたのだろうか。
わたし、ペイバーされるの嫌。誰とも行かない
とも言っていた。

3日くらい会わずに放置していると、突然電話がかかってきて、今から映画を見に行きたいからセントラルフェスティバルで待ち合わせね、とか言う。
よく映画には連れて行かされた。
そのあと、仕事に行くか、わたしのアパートへ来るのかと思いきや、別の場所に遊びに行くといって消えたり。

彼女はゴーゴーバーの共同部屋に住んでいた。
他のダンサーと暮らしたくない。今から、アパートを探すから付いて来てと、無理やりバイタクであちこち回らされたり。
で、二人でアパート探しをしたものの、やっぱり高いからやめるとか言い出すし。

なんだか不思議ちゃんだった。
でも、放っておけない魅力があった。

わたしもそんなにお金を渡していたわけじゃない。
ブンブンをすれば、最低限のチップはあげていた。
たまに泣きつかれて、お小遣いを多めに渡す程度だった。
他の客からのペイバーは拒否していたようだし、固定給とレディドリンクのバックだけでは、きっと生活が苦しかっただろう。
それに、実家への仕送りの請求もきつい。
しかたなくパタヤのゴーゴーバーで働いている感が満載だった。
もちろん、そういう夜のお店で働いている女性たちのほとんどが金銭的理由からしかたなく従事しているのだろうけど。
誰も好き好んでゴーゴーバーでは働かない。

彼女は、たぶん夜の仕事にまったく向いていない性格だった。
ただ踊っていたいだけ。
最後は、ちょっと精神的にまいっているような雰囲気もあった。

わたしが、2週間ほど日本に一時帰国してからパタヤへ戻ってみると、彼女はすでに田舎へ帰ってしまっていた。
電話で連絡するも要領を得ない。何を言っているのか意味不明。
その後、タイ語で長いメールが届いた。
でも、わたしはタイ語が読めない。
知り合いのタイ人に翻訳してもらってもよかったけど、何となく、もうすべて終わりのような気がした。
こちらからの返事は出さなかった。

彼女とは、結局、それっきりとなってしまった。
今でも、忘れられない女性だ。

ちなみに、以前のエントリーで紹介したコヨーテ嬢とはまた別。
コヨーテ嬢2
参考記事:パタヤの洪水とコヨーテ嬢の思い出

こちらのコヨーテ嬢は、その後に知り合って仲良くなった。
忘れられないとか言いつつも、やっぱり新しい女が欲しくなって、結局は、次から次へと女漁りを続けるわけで。
まあ、それがパタヤかな。

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