パタヤ沈没日記2
ファランと結婚するバービア嬢は多い。
バービアで出会い、付き合いを経て、そのまま結婚。
タイ人とファランとの国際結婚のできあがりだ。パタヤでは日常的にあふれてかえっている光景です。
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国際結婚
結婚後は、いくつかのパターンにわかれる。
すでに仕事をリタイアしたファランだと、結婚してもタイでそのまま一緒に暮らすケースが多数派か。
出身地のイサーンに家と土地を購入して、そこで一緒に暮らすこともある。
ど田舎の僻地の集落に一軒だけ白亜の宮殿のような洋風の家が忽然と姿を現す。俗にいう、イサーンのファラン御殿だ。イサーンを旅したことがあるなら、誰もが目にする光景かも。高床式の家に横にファラン御殿。イサーン名物ですな。
でも、イサーン暮らしはファランにとっては退屈。イサーンに家を建てても、パタヤで別途コンドミニアム暮らしをするケースもある。知り合いの元アメリカ海軍ファランと元バービア嬢はこのパターン。まあ、そこそこの金持ちじゃないと出来ないが。
中にはタイを離れて、旦那ファランの本国へ移住してしまうケースもある。
とりわけ、まだ本国で仕事を持っているような年齢層のファランと結婚する場合、どうしても移住は避けられない。
冬のヨーロッパは実に寒そうだ。
そんな元バービア嬢たちだが、たまにはタイへ里帰りしてくる。ついでにパタヤの元職場へ顔を出す。
金持ちぶりをアピールしながら、元同僚たちに酒を振る舞うわけだ。
これぞパタヤの勝ち組。鼻高々である。
で、わたしもその輪の中に加えてもらう。というか、元バービア嬢から呼び出されて、一緒に飲まされる。
今回のパタヤ滞在では、そんな里帰り元バービア嬢と連続して遭遇した。
どちらも、ドイツ人と結婚。
宴会その1
まずは一組目。
なじみのバービアに顔を出してみると、旧知の元バービア嬢と遭遇。横にはドイツ人ファラン旦那がいる。
元バービア嬢は年齢不詳ながら、たぶん30歳くらい。ファランもまだ若い。たぶん40歳前後。本国で仕事あり。
年の大半はドイツで過ごしているが、ドイツ人だけにわりと長期休暇が取りやすいのか、年に2ヶ月ほどはパタヤへやって来る。
で、毎日バービアに顔を出しては二人で飲んだくれている。
当然のようにわたしもお呼ばれに。
飲むのはもちろんウィスキー。
これをソーダかコーラで割って、ひたすら乾杯し合うのがタイスタイルの飲み方。
たまに、ショットで飲まされたりもする。
この時のおつまみは、なんかのフルーツ。唐辛子と砂糖を混ぜたタレをかける。
ドイツ人ファランは食べないが、わたしは食べる。というか無理やり食べさせられる。日本人を何だと思っているんだ、まったく。いや、おいしく食べるけど。
こんな感じの宴会を数日間続けましたな。
このファランは、多少のタイ語も話せるし、英語は上手。
会話には困らない。
楽しい宴会でした。
宴会その2
つづいて2組目。
三十代後半の元バービア嬢。
わたしが知り合った頃にはすでにファラン彼氏がいた。わたしとは仲良く飲むだけ。そもそもルックスと年齢的にペイバー対象外。でも、ファラン好みのようでファラン人気は高かった。
その後、正規に結婚して、ドイツへ移住していった。
渡航ビザを取るのは大変だったみたい。バンコクにあるドイツ大使館には何度もインタビューに呼び出されたそうな。
分厚いドイツ語の書類をわたしに見せてきて、翻訳してくれと頼まれたこともある。ドイツ語はちょっとわかるけど、さすがに翻訳は無理です。
無事に手続きが終わり、ドイツへ旅立つ直前に酒を飲み交わしたっけ。
その元バービア嬢とパタヤのバービアで再会した。
もちろん、ファラン旦那も一緒である。
なんでも、イサーンの実家で結婚式を挙げてきたばかり。
いやあ、めでたい。
ちなみに、イサーンの実家への貢物は、ピックアップトラック1台と親戚が営業するための雑貨店一軒だそうな。土地と家購入はまだみたい。
このドイツ人ファランとはわたしも旧知の間柄。たぶん50歳くらい。ビール腹がすごい。
タイ語はほとんどわからないが、英語はばっちり。いい奴です。
さらに、ドイツ人二人も一緒。
なんでも、結婚式に参列してもらうため、旦那ファランが渡航費用をすべて負担して、タイへ連れてきたそうだ。タイ航空利用とのこと。金持ちだなあ。
そのドイツ人友達二人だが、当然のようにおっさん。やっぱり50代でしょうね。
そのうちの一人は初めてのタイ旅行。しかも英語はほとんど話せない。
ファッションも態度も、なんというか田舎のおっさんそのまんまといった感じ。柄が悪くて洗練度はゼロ。
このあたり、日本だろうがユーロだろうが同じ。
すごく粗野だが、けっして悪い人ではない。
ノリもいい。
というわけで、元バービア嬢とその旦那、さらにドイツ人おっさんたちと連夜の宴会となった。
飲むのはやはりウィスキー。
タイウィスキーはファラン好みではないらしく、ジョニ黒で。
ドイツ人の酒の強さに勝てるわけがない。
ビールは単なるチェイサー扱いだもんなあ。
バービアの人たちの夜食にお呼ばれ。カノムジンですな。
タイ初体験のドイツ人は何がなんだかわからないまま、食べていた。こいつ、意外と筋があるな。
ちなみに、ドイツへ嫁いだバービア嬢は、ここぞとばかりにタイ飯を貪り喰っていた。
ドイツにもタイ人コミュニティーがあって、タイの食材は手に入るそうだ。でも高いとのこと。
プリック(唐辛子)を数キログラム買い込んでドイツへ戻るという。イサーンの血は、ドイツでも不滅だ。
国際交流
さて、初タイのドイツ人。
本当に英語がまったくダメ。
ここまで英語が話せないファランは珍しいかも。いや、ドイツの田舎へ行けば、たぶん、こんなもんでしょう。とりわけ年配の人はなおさら。
日本と同じで、ドイツ国内で生きていくだけなら、英語はまったく不要。中央ヨーロッパではドイツがまさに経済の中心地。
陸続きの国も多いが、オーストリアやスイスなどではそのままドイツが通じる。英語はまったく必要ない。まわりの人がドイツ語を話してくれるからだ。
英語は話せないが、ノリはいいドイツ人。
酔いも手伝って、バービアで働く嬢たちにちょっかいを出している。
でもドイツ語で話しかけるもんだから、バービア嬢がわかるわけがない。
助けてくれと困った顔をわたしに向けるバービア嬢。
しかたあるまい。ドイツ語が少しだけ話せるわたしが通訳することになる。
といっても、もうドイツ語は忘れた。
てきとーに単語を繋いで、助け舟。
というか、英語とドイツ語なんて兄弟言語じゃないか。まったく同じスペルの単語なんて山ほどあるぞ。発音が違うだけ。
日本人が英語を勉強する苦労に比べれば微々たるもの。がんばれよ、ドイツ人。
そもそも、なんで日本人がタイ語とドイツ語の通訳をしなきゃいけないんだ。
でも、がんがんタダ酒を飲ませてくれるもんだから、わたしとしては文句はない。
こういう宴会はむちゃくちゃ楽しい。楽しければなんでもいい。
わたしがオーダーした分の伝票も、ファラン旦那が取り上げるか、元バービア嬢がこっそりとファラン旦那の伝票に混ぜてましたな。
ほとんどカネを使わず連夜の宴会。
これぞパタヤですなあ。
バービア嬢とはタイ語で仲良くなっておき、ファランとは英語やドイツ語で仲良くなっておく。
とはいえ、タイ語にしろ英語にしろ、会話がすべて理解できるわけではない。
あとはノリがすべて。
タイ人もファランもノリがいい。
こちらも負けじとノリで応戦すれば、彼らは応えてくれる。
楽しい生活です、パタヤは。
さて、元バービア嬢とドイツ人3人の一行。
最終日ももちろん一緒に宴会。
翌朝一番のフライトでドイツへ帰国するという。
でもすでに深夜2時をまわっている。
べろべろに酔っ払うドイツ野郎たち。
深夜3時頃だったか、ようやく宴会はお開き。
「アウフヴィーダーゼーエン」と別れの挨拶とハグ。
酒くせえ、こいつら。
でも、本気で良い奴らだったなあ。
元バービア嬢とは、「ジューガンna」とバイバイ。ドイツの冬は極寒だけど、なんとかプリックをかじりながら生きながらえてほしい。
これだけ酔っ払って翌朝のフライトに間に合うのかと心配したが、そこは生真面目かつアルコール耐性の強いドイツ人である。
翌朝、無事にスワンナプーム空港についたとの写真がSNSにアップされていた。目は死んだ魚のようにどんよりしていたけどね。
また、パタヤで飲もうぜ、ファラン&元バービア嬢。
それまで壮健あれ。末永くお幸せに。
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