アジア周遊旅行17(ペナン島編)
沢木耕太郎著『深夜特急』第2巻はペナン島が舞台となる。
フェリーでペナン島到着後に主人公が投宿することとなったのが、同楽旅社という娼館を兼ねた中華系ホテルであった。
さて、それから数十年。
現在の同楽旅社はどうなっているのだろうか。
わたしは、『深夜特急』にはまったく思い入れがない世代だが、ペナン島と娼館という響きに魅せられ、同楽旅社へと足を運んでみた次第である。
旧日本街(シントラ通り)
今も旅人たちが多く集まるチュリア通りから、隣の筋通りへ入っていくと、そこには「LEBUH CINTRA」という標識が掲げられていた。
シントラ通り(CINTRA STREET)というらしい。
さらには、通りの由来や歴史が書かれた案内板がある。
シンタラとは、ポルトガルにある港に由来する。
地元での呼び名は、19世紀の日本のゲイシャハウスが元となっている。
ここは別名、日本横街。
そう、19世紀のこの通りは、日本のゲイシャハウス、つまり日本人娼館が立ち並んでいたのだ。いわゆる「からゆき」さんたちが日本の極貧農村から送られてきたのが、このペナンの一角にもあった。サンダカンだけではない。当時はこのような日本人娼館通りがアジアの各地にあった。
歴史的な通りの名前には、「日本人売春宿通り」や「最底辺の売春婦通り」とも説明書きがしてある。
実際の現在の通りにある看板には、日本街の文字が残っているが、今では普通のフードコーナーとなっている。娼館通りのとしての面影はまるで残っていない。
かろうじて、往時の色街としての面影が、「冷気理髪店」という文字で伺い知ることができようか。
おそらくは、理髪店を兼ねた売春施設か、出勤前の娼婦が髪をセットするために訪れていたのだろう。
が、今では、オシャレなカフェバーとなっていて、「ハッピーアワービール50%引き」と書かれている。
チャイナタウンからビルマ通りへ
日本横街を抜けると、そこはチャイナタウンとなっている。
いつの時代も食欲旺盛な中国人たちの胃袋を満たすために食堂やレストランが大繁盛だ。
そして、彼らはもちろん性欲も旺盛である。
チャイナタウンの片隅には、うらぶれた一軒の旅社を見つけた。
愛吾旅社、Ai Goh Hotelという名前がいかにも怪しい。
正面玄関にまわると、建物へと続く狹い通路があった。
こういったところは、やはり娼館を兼ねているのだろう。
近代的なコムタービルを脇目にビルマ通りへと進む。
さらに進むと、右手にはこれまた近代的なホテルがあった。エアアジア系列のTUNE HOTELだ。コストをそぎ落として、安値で清潔な部屋を提供するホテルである。
そして、その近代的ホテルの斜め向かい側に、同楽旅社は、しぶとく生き残っていたのである。ようやくたどり着いた。
しかし、名前はすでに変わっている。
現在の店名は、Golden Apple Musical&Pub。中国語では、音楽酒店となっている。
が、「深夜特急」に記述のある前庭はそのまま残っているし、建物自体も変わっていないようだ。
同楽旅社あらためゴールデンアップル音楽酒店
果たして、その中はどうなっているのか、システムなどはさっぱりわからないまま入ってみることした。
店の入口の前のテーブルで、おじいさんと若い少年が門番のように座っていた。
おじいさんに「ここはなんだ?」とたずねると、無言のまま枯れた手で酒を飲むジェスチャーを示す。
「女はいるのか?」と続け様に質問すると、今度は若い少年が、ドヤ顔で「イエス」と答えた。
酒を飲んで、女と遊ぶところのようだ。
ここが、店内への入り口だ。
18禁のマークがきちんと掲示されている。
中にはいってみると、広々とした、いやむしろ無駄に空白のあるバーとなっていた。
ディスコ調と呼ぼうか、ダンス音楽がけっこうな音量で流されていて、壁にはテレビモニターも置いてある。
丸テーブルがいくつかあって、マレー系や中華系の男性客たちが、ばらばらと陣取っていた。
ドリンクの注文は、直接バーカウンターで行うようだ。
ほぼタイガービール一択しかない。
一瓶17マレーシアリンギットというから、おおよそ430円ほどだろうか。
マレーシアの現地物価水準からすれば、決して安くはない価格だ。
支払いはキャッシュオンで、ビール瓶と交換で現金を渡す。
手前側の広いフロアには、ちょうど空いているテーブルがなかった。まだ日が暮れる前だというのに、意外と繁盛しているものだ。
そのまま奥に進んでみる。
ここにも、丸テーブルとイスのセットがいくつか置いてあり、わたしはその一つに陣取った。
向かい側には、ソファーがいくつも並んでいて、男たちが座っている。このソファーにいるのは、なぜかインド系と思しき男たちばかりだった。
何をするわけでもなく、男たちで固まって座り、ぎょろりとした目線を周囲に送るインド男たち。
そのかたわらを、きわどいドレスを着た女が歩いて行く。
見るからに夜の女性とわかる姿格好である。
やはりここはいまでも娼館として機能しているようだ。
それにしても、かなり異質な空間である。
なんとも淀んだ雰囲気が充満している。
時代の重みと言おうか、旧時代に取り残された過去の亡霊たちの重圧とでも言おうか、娼館に染みこんだ幾万もの男と女たちの残り香と残滓が全身に絡みついてくるかのようだ。
いや、それは言いすぎだし、ある意味美化しすぎている。
ここは、単なる男たちが欲望を吐き出すための場所に過ぎない。
そして、女たちは、カネを稼ぐために集まっているのだ。
ビール瓶を傾けていると、すぐさま一人の女が言い寄ってきた。
大きくスリットのあいた黒のロングドレスを着て、胸の谷間を強調している。口紅は、不自然なほど赤い。
わたしの膝にまとわりついてきた。
年の頃なら、30前だろうか。
中国の深セン出身という彼女。
肉付きのよい体には、わずかに色気があるが、おおよそ遊びたい相手ではない。
彼女にはまったく興味がなかったが、システムには興味があったので、話を少し聞いてみる。そこそこの英語が通じた。
働いている女性は、中国出身が多くて、あとはベトナム人とのこと。
奥には、カラオケボックスのような部屋があって、その中に連れ込んでどんちゃん騒ぎができるそうだ。
ちょっとのぞいてみると、女をはべらかせた中華系の男たちが盛り上がっていた。
さらに、彼女はわたしの耳元で囁く。
2階を指差して、そこで遊ばないかとの誘いだ。
料金は250リンギット。これで部屋代込みだから安いでしょという。
日本円に直すと、6300円くらい。
安いかどうかは人それぞれだが、ありえない提示だと思った。
やんわりと、それでいてはっきりと断りを入れたが、彼女はしつこくまとわりついてくる。
わたしの太ももを撫で、腰に手を回し、耳元に息を吹きかけてくる。
やめてほしい。近づかないでほしい。
そう、彼女は口が臭かったのだ。
何を食べたらそうなるのか、とにかく臭かった。
もう限界だった。
彼女の体を押し返すと、ようやく諦めてくれたようだ。
が、次はチップの催促が始まった。
勝手にやって来て、勝手に体を触ってきて、チップを寄越せと言われても、少々困ってしまうが、話相手になってくれたことも確かだ。タイと同じ感覚で2リンギット(20バーツ相当)を渡そうとした。
しかし、彼女はまったく納得しない。
ここでは話相手になっただけで最低10リンギットから15リンギットを払わなくてはいけないと言う。「You have to pay」と何度も繰り返す中国女。
息が臭い。
バカらしい。
我慢できない。
インド人男たちのぎょろりとした目線も突き刺さってくる。
この空間に長居したくなかった。
かつてここで娼婦やそのヒモたちと丁々発止のやり取りをしたであろう沢木耕太郎氏のことや、そのまた昔日本人街で望郷の念にかられながら春を売っていたであろうからゆきさんさんたちに思いを馳せることはなく、私の頭の中にあったのは、ただ中国女の口臭とチップ攻撃から逃げたい一心だけであった。
残っていたビールを一気に飲み干して、わたしはすたすたと出口へ向かって歩いて行った。
さすがに彼女は追いかけてはこなかった。
滞在時間は10分か15分くらいだっただろうか。
実にあっけない同楽旅社あらためゴールデンアップル音楽酒店訪問となった。
ここは、地元民たちの遊び場だ。
おそらく小金持ちの中華オヤジやマレー人が酒を飲みながら、遊ぶための場所。娼館としても機能しているが、ちょっとしたキャバクラやセクキャバみたいなものなのだろう。
インド人は無駄金を一切使わないので、ちびちびとビールを舐めながら、女の姿を目で追っているだけなのかもしれない。
わたしのような日本からの旅行者が興味本位で訪れるような場所ではない。
違う。むしろ、興味本位だけで訪れるのがいいのかもしれない。
おもしろいものを見ることができたし、歴史の一部分を追体験できたかのような気分だ。
19世紀の日本人娼館通りから、21世紀の現在まで、手を変え品を変えて生き残るペナンの娼館。
昔は日本からの出稼ぎたち。今は中国とベトナムから。
口が臭いのは何とかしてもらいたいが、彼女たちがしっかりカネを稼いで、いつか故郷に帰ることができればそれでいい。
娼館の存在や出稼ぎ売春労働の実態やその是非について語るつもりはない。
ただただ、おもしろい体験ができた。わたしとしては、それで充分だ。
地図
関連書籍
説明不要の旅人のバイブル。実は、わたしはほとんど読んでいなかったりする。
これは熟読した本。天草からマレーシアのサンダカンに売られていった、からゆきさん女性の物語。まあ、取材方法は難がありすぎるし、もろに左巻きだが、東南アジアにおける日本の裏歴史を知る上の必読書であることに変わりなし。